先日学科長からこんな話があった。日本の大学院に留学して日本語をもっと深く勉強してこいというのだ。私はまたとない機会だと思ったが、妻の仕事や子供の学校のことを考えると、すぐには返事ができなかった。
私は現在、インドネシアのある大学で日本語を教えている。かつて日本の大学で日本文学を学び卒業した。そして、インドネシアの大学で日本語を教え始め、5年が過ぎた。教えてみると、自分の日本語の実力が不十分であることがよくわかった。周りに日本人の先生もたくさんいて、いろいろと教えてくれるのだが、彼らも毎日の仕事があるので、いつも私の面倒を見ることはできない。だから、もう一度、日本へ行って勉強をやり直したいとずっと思っていた。また、将来も大学で日本語を教えるならば、修士の学位が絶対に必要だと、学科長からも言われていた。
年令ももう若くはないし、これがたぶん最後のチャンスになるだろう。もし、家族全員で日本へ行けば、妻は仕事をやめ、子供は学校を変わらなければならない。私一人で行けば、妻も子供も寂しいだろうし、私も一人で日本で生活できる自信がない。今、どうしたらいいかとても悩んでいる。
問:本文の要点を簡潔にまとめた文はどれですか。
1.この人は以前から日本の大学院に留学して、もっと日本語を研究したいと考えていた。
しかし、もう若くないし、妻の仕事や子供の学校の問題はあるが、日本へ留学しようと
決めた。
2.この人は日本の大学で日本文学を勉強して、現在、インドネシアの大学で日本語を教え
ているが、いつも自分の実力がないと感じていた。だから、学科長から日本の大学院で
もう一度勉強してこいと言われた時に、すぐに「はい」と返事をした。
3.この人は将来もインドネシアの大学で日本語を教えたいと考えていたので、日本の大学
院留学の話はまたとない機会だと思った。しかし、妻や子供に反対されたので、今、と
ても悩んでいる。
4.この人は現在インドネシアの大学で日本語を教えている。ところが、五年間教えてみて、
自分の実力が不十分であることがよくわかった。もっと勉強したいと思っている時に、
留学の話があったが、妻の仕事や子供の学校のことを考えると、すぐに返事ができない。
人は生まれた時は裸だ。何も持っていない。人生の出発は確かに平等のように見えるが、本当に平等なのだろうか。
例えば、金持ちの親から生まれたら、金持ちから出発することができるし、金の苦労はあまりしないだろうと思う。反対に、貧乏な家に生まれた子供は、貧乏から出発しなければならない。金持ちの子供の数倍の苦労をするかもしれない。欲しいものも買えないかもしれないし、学校にも行けないかもしれない。たぶん、どうして自分は貧乏なのか、貧乏は嫌だと言うだろう。しかし、貧乏な家が嫌だからといって、金持ちの家に引っ越すこともできない。これは運命なのだ。
結局、子供は親の持っている環境から出発する以外に方法はないのである。その点では、人間は決して平等ではない。
[本文共有 3 页,当前是第 2 页] <<上一页 下一页>>