その会話のテキストの中に、こんなことが書いてあった。「日本人の親は子どもが外の人にプレゼントやおみやげをもらった時、子どもといっしょにお礼を言うが、ドイツ人の親は絶対にお礼は言わない、また、お礼を言わないから、ドイツ人は無礼だと考えてはいけない。」
私はこの記述が信じられなかった。いくらドイツ人は個人主義思想が徹底しているといっても、子どもがプレゼントをもらって親が黙っているはずがないと思った。だから、この記述はたぶんドイツ人の個人主義を誇張するための作り話だろうと思った。
しかし、私はこのことが誇張された作り話ではなく、事実であることを、ドイツへ行って知ったのである。私は三か所のユースホステルでアルバイトをした。そして、そのユースホステルのご主人の子どもに日本から持っていった絵はがきや子どものおもちゃをあげたのだが、どの親もにこにこ笑うだけで、一言もお礼の言葉を言わなかったのである。
私は自分が日本人の物差しでドイツ人を見ていたのだということを反省した。同時に、ドイツ人のこの乾いた人間関係を日本人は理解できないし、もちろん、まねもできないと思った。
問1:下線「日本人の物差しでドイツ人を見ていたのだ」とありますが、どんな意味ですか。
1.子どもが他人にプレゼントやおみやげをもらった時、ドイツ人の親も日本人の親と同じように、絶対にお礼を言わないだろうと考えていた。
2.子どもが他人にプレゼントやおみやげをもらった時、ドイツ人の親も日本人の親と同じように、いっしょにお礼を言うはずだと考えていた。
3.子供が他人にプレゼントやおみやげをもらった時、ドイツ人の親は必ず子どもにお礼を言わせるはずだと考えていた。
4.子供が他人にプレゼントやおみやげをもらった時、日本人は親もいっしょにお礼を言うが、ドイツ人は特にお礼を言わないと考えていた。
問2:下線「ドイツ人のこの乾いた人間関係を理解できない」とありますが、どのような人間関係ですか。
1.子供が他人にプレゼントやおみやげをもらった場合、もらったのは確かに子供だが、親子は他人ではないので、親もいっしょにお礼を言うのが当然だと考えるような人間関係.
2.子供が他人にプレゼントやおみやげをもらった場合、もらったのは子供なので、子供がお礼を言えばそれで十分である。親がいっしょにお礼を言うのは、逆に無礼であると考えるような人間関係.
3.子供が他人にプレゼントやおみやげをもらった場合、子供がもらったのだから、親がお礼を言う必要はないと思ってはいるが、相手の気持ちも考えて、お礼の言葉を言うような人間関係.
4.子供が他人にプレゼントやおみやげをもらった場合、もらったのは子供であって、親は自分がもらったわけではないのだから、親は子供といっしょにお礼を言う必要はないというような人間関係
マレーシアに来てしばらくしてから、私は子どもを連れて、あるデパートの四階にある遊園地に行きました。私はその時、軽いカルチャーショックを感じたのです。その遊園地の入り口には、昼間なのにネオンサインがあり、しかも、そのネオンサインには星がデザインされていたのです(写真参照)。それから、遊園地の中も薄暗く、まるで夜か夕方の世界でした。日本の遊園地はたいてい外にあります。だから、当然明るいです。もちろん、デパートにも小さな遊園地がありますが、普通は屋上にあります。建物の中の遊園地は、日本では考えられません。
私はその時、これは太陽に対する考え方、感じ方が違うのだと思いました。日本人は太陽が昇ると同時に働きはじめ、夕方、日が暮れるころに家に戻ってきます。子どもは太陽の光をいっぱいに浴びで、外で思いっきり遊ぶのがよいとされています。太陽は生命の源なのです。それに対して、マレーシアなど熱帯の国では、一日中太陽の光を浴びていたら、病気になったり、時には死んでしまうこともあるのです。つまり、太陽というのは、恐ろしいものなのです。したがって、マレーシアの人々は、焼けつくような太陽が沈むと、生き返ったように家から外に出て、パサール?マラムなどに行きます。①これは太陽を避けようとする思想の現れです。
[本文共有 3 页,当前是第 2 页] <<上一页 下一页>>